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When Blobjects Rule the Earth – Blobjectが地球を支配するとき

9月 6, 2007

原典: BoingBoing: Bruce Sterling SIGGRAPH 2004 speech “When Blobjects Rule the Earth”

ブルース・スターリング

SIGGRAPH, ロサンゼルス, 2004年8月

授賞式の最後を飾るスピーチは、それなりに長いものでないといけないだろうな、と考えながらお話をさせていただきます。

ブルース・スターリングと申します。SF作家です。小説を書いております。SIGGRAPHに参加するのはこれが初めてです。いつも行きたい、と思っていたものです。

私のクローゼットにはSIGGRAPHのデモテープが山と積まれています。VHSテープです。人を呼んで家でパーティーをするときには、ひっぱり出してきて、再生して見せるのが大好きです。失われた世界の神秘的な象徴なのです、このSIGGRAPHのアンチークなデモリールは。

私はこれらのデモテープの、戻ってくることのないかけがえのなさを愛しています。もう録画することのできない、過ぎ去った時間と空間の一片なのです。あんなにひどいコンピュータグラフィックスはもはや不可能です。安っぽいティーポットも、すばらしくひどい毛髪処理も、いやいや、今や時代は「スタンフォード・バニー」やトライセラトプス、チャイニーズ・ドラゴンです…. チェスのポーンが、ボリュームメトリクスの粋だったこともあるんですよ!

もしかすると、こうお思いかもしれません、ハリウッドの連中がセッションにやってきて時間をつぶし、小説家までが顔を出している、そしてPixarがディズニーの予算を牛耳っている時代だ、SIGGRAPHが征服に乗り出すべき新世界はもう残っていない、と。けれども、1つ、どうしても征服する必要のある世界があります。ホビットがオスカーを袋一杯もらってもです。

ビットの世界を征服した今、アトムで出来た世界を変革しなければなりません。スクリーン上にシミュレートされた画像ではなく、実体を持った、現実の物理世界を。メッシュやスプライン曲線ではなく、大きくて重くて、頭にこぶができそうなほどみっちりした物体を持ち上げ、投げることのできる世界、これが征服すべき世界です。それというのも、この世界は自立することができないから。持続可能ではなく、未来もなく、そして未来が必要だからです。

その世界はSIGGRAPHからもたらされるでしょう。

さて、それではそれがどんな風に起こると私が考えているか、お話ししましょう。

まずはこれらの単語に耳を傾けてください: FormZ、Catia、Rhino、Solidworks。Wifi、bluetooth、WiMax、RFIDチップ。グローバル及びローカルな位置情報システム。デジタル倉庫システム。「Cradle-to-cradle」な生産手法。分解を前提とした設計。ソーシャル・ソフトウェア、顧客情報管理。オープンソース生産。

今申し上げた数々のピースが、ジグソーパズルのようにかっちりとはまりつつあります。これらは、一枚の絵図を、新しいタイプの物理的現実を描きはじめています。人間とモノとの新しい関係です。

今日これからもう少し付き合っていただけるなら、そして不信感の節々に油を差して、少しでもゆるめていただけるなら、ちょっと皆さんを意識的催眠にかけてみせましょう。

ご存知のように、未来はすでにここにあるが、ただ十分に出回っていないだけなのです。

確かに未来には、以前なら技術的に不可能だった目新しい部分もありますが、さらに大事なのは、未来は、現在すでにある物事について、違った見方を持っていることです。重点をどこに置くかが違うのです。未来は異文化、あるいは異国であるかのようです。私たちは未来で話されている言語をものにしなければなりません。

それでは、「Blobject」とは何なのでしょうか? なぜまた地球を支配するのでしょうか?

私はデザインについてよく書くものですから、「Blobject」という言葉も私が作ったのだと勘違いされることがあります。Googleで検索したら、私の名前がまず出てきますが、この言葉を作ったのは私ではありません。Karim Rashidという高名なインダストリアル・デザイナーが考え出して、いみじくも「I Want to Change the World」(私は世界を変えたい)と題された彼の本に書いたものです。良い本ですし、とても教育的です。ぜひ買って読むことをおすすめします。私は読みました。Karimは本気ですね。

さて、「Blobject」は一般に次のように定義されます。「曲線的で、流れるようなデザインをもったモノ、例えばアップルのiMacやフォルクスワーゲンのビートルなど。」しかし、コンピュータや車は最終製品であって、プロセスではありません。「Blobject」は、正しくは、物理的なモノのうち、コンピュータグラフィクスによるリメイクを受けたものを指します。グラフィクスプログラムを使って、モニタ上でデザインされたということです。「Blobject」の外見がどんな風かは、平均的20世紀の工業製品・小売商品を、ここにいらっしゃる皆さんがマウスでその形を作り上げたところを想像していただければよいでしょう。

「Blobject」はblob(染み, 小塊)の形をしています。NURBS(非一様有理Bスプライン、Non-Uniform Rational B-Spline)やメッシュ、スプライン、射出成形、CAD-CAMの成せる技です。ワークステーション上でデザインされた、とても曲線的な小売商品であり、多くの場合射出成形された粘性物質の塊として実体化されます。

「Blobject」は時代を象徴する物体です。デジタル革命が小売店の棚にもたらした物理的生産品です。

「Blobject」は1990年代初頭までは不可能事でした。それからチープになりました。今や日用品です。今日の世界はまったくこの「Blobject」だらけです。あまりにも一般的になったので、陳腐で時代遅れになり始めているほどです。ちょうど今私は「Blobject」を3つ身に付けています。ポケットにはさらに2 つ入っています。気にとめるほどのものではありません。「Blobject」は、7%のROIで、海の向こうの台湾でオフショア生産することができます。「Blobject」は、チープで簡単な生産手段になったのです。「Blobject」は土と同じくらいどこにでもあります。

けれども、まだ地球を支配しはじめてはいません。まだまだ原始的すぎるからです。持続性に欠けており、単に現状のシステムを最適化しているに過ぎません。野蛮なやり方への上塗りです。

さて、これまでご存知なかったとしても、これで「Blobject」とは何か、おわかりでしょうか。というところで、演台の上で後ろにそっくり返り、私の絶大なる千里眼のフューチャリストの腕をふるって、私の壮大なビジョンを描き出すことにしましょう: 「Blobject」の数々、地球を支配する「Blobject」。埋め尽くすだけではありません: 支配するのです。これは帝国主義であり、壮大な伝説であり、歴史的命題であり、世界観であり、そして遠大な企図であります。

つまりこれはちょっと宇宙的スケールでお話しする必要があります。しかしここはカリフォルニアでした。ここの知事はサイボーグですね。シュワルツェネッガーがサイボーグのロボットだった映画を覚えていますか? でかいショットガンを持っていて、「Blobject」をやっつけたやつです。あの大きな、形の定まらない、デジタルで、銀色で、超悪者の「Blobject」です。皆さんのうち誰かがたくさんのお金をもらって、あのでかい銀色の悪者をでっちあげて映画に出したのです。SIGGRAPHスタイルの業界人がこつこつと仕事をして、TERMINATOR 3の銀色の「Blobject」の男を作ったのです。そして、今では役者の方は、アーノルドは、カリフォルニア州の予算を通す仕事をしています。

今これからお話しすることは、ぶっ飛んで聞こえるかもしれませんが、カリフォルニアの政治より余程現実味があります。

私の壮大なビジョンには、モノと人間の関係の歴史が含まれています。それはこんな風に始まります。現在に至るまで、これまで人間は4つの違うタイプのモノを所持したり作ったりしてきた。出現した年代順に、これらは「加工物」(Artifacts)、「機械」(Machines)、「製品」 (Products)、「ギズモ」(Gizmos)と呼ばれる。

「加工物」と「機械」、「製品」、「ギズモ」の間の線引きはモノ的なものではありません。歴史的なものです。違いはこれらのモノが可能にする物質文化の中に見られます。それによってどんな社会が形成されるか、それを作って使うのにどんなタイプの人間が必要か。

「加工物」は、狩猟採集者と農耕生活者によって生産、使用されます。

「機械」は、工業社会において、顧客によって生産、使用されます。

「製品」は、軍事工業複合社会において、消費者によって生産、使用されます。

「ギズモ」はエンドユーザによって生産、使用され、今日の世界を舞台としています。(何と呼ぼうと構いません。「新時代社会不安」「テロリズム-エンターテインメント複合体」、我々の短い空位期間。)

「Blobject」の多くは「ギズモ」の一つです。すべての「Blobject」が「ギズモ」ではありませんが、「ギズモ」の多くは頭がおかしくなりそうなほど多機能で、コンピュータ上でデザインされています。

SIGGRAPH に出席されるような方なら、「ギズモ」のエンドユーザ、と紹介するのが最適です。ここにいらっしゃったのはスチロールの塊でパッケージングされたモノを買い物するためだけではありません。同じ業界の一員として参加するためです。1960年代には、ご両親は消費者でした。しかし今皆さんはここにやって来て最新技術に貢献し、さらに一歩先へと押し進めようとしています。つまり一種の参加者なわけです。消費者ではありません。エンドユーザです。エンドユーザは、消費者が時間を経て進化した一形態なのです。

「ギズモ」は中央集権的に計画された社会では生産されません。「ギズモ」は一種製品のようなものではありますが、言いなりの消費者からなるマスマーケットの中で予測可能で論理的な振る舞いを見せるかわりに、「ギズモ」はオープンエンドな技術開発プロジェクトの様相を呈します。

「ギズモ」においては、その開発がエンドユーザに担わされたのです。

エンドユーザは、ここにいる全員がそうと言ってもいいくらいですが、無報酬で、公共の利益のために、「ギズモ」の開発に必要な仕事をかなりの量こなしいます。「ギズモ」の本当の特徴は、製品としてのライフサイクルが短く、理解して実際に使える以上に多くの機能が詰め込まれていることです。「ギズモ」は一世代前の社会の一部をがっぽり飲み込んだ「製品」である、とも言えます。そしてヘルプセンターと使用手引書が一緒に中に含まれています。

「ギズモ」が「機械」や「製品」と違うのは、非効率なことです。「ギズモ」は奇妙で、複雑で、さらには多大な量の機能を持っています。ここに私が持っているTreoは、「ギズモ」の典型的な例です: これは携帯電話であり、ウェブブラウザであり、SMS機能を備え、MMS(Multimedia Messaging Service)機能をも備え、安っぽいカメラ、お話にもならないタイプライタ、加えてメモ帳、スケッチブック、カレンダー、日記、時計、音楽プレイヤー、そして誰も読まないチュートリアル付きの教育システムでもあります。プラス、私がその気になれば、もっとややこしいものを接続して使うこともできます。これは「機械」でも「製品」でもありません、スタンドアロンのデバイスではないからです。これはプラットフォームであり、世界中の開発者のための遊び場です。デザートのトッピングであり、床のワックスです。

今、この「ギズモ」を設計し直してシンプルな「製品」に変えてしまうこともできます。

けれど、そうするとこの「ギズモ」は日用品になってしまいます。そうしたところで、利益はありません; 私たちが生きているようなエンドユーザ社会では、「製品」はプチプチや個包装に入って、鉛筆のように大量に提供されます。金銭はほとんど関係ありません。

つまり、「ギズモ」を使おうとしてもそれがほとんど不可能なのも、理由あってのことなのです。

というのも、「ギズモ」は日用品とカオスの間に微妙に位置付けされているからです。

あり得ない程の複雑さを可能な限り詰め込もうとしているのです。それもほとんど使い物にならなくなるほど。未来に向かって前のめりなのです。

私たちの社会は今やこれで生計を立てています。SIGGRAPHはつまりそういうことなのです。「ギズモ」を使って複雑性を吸い上げ、プレミアム価格で売ろうとしているわけです。「エンドユーザによるギズモ社会」は常に使用可能性の限界に向かって押し立てられています。どんなに多くRAMやROMがあってもレンダリングに常に時間がかかるのはそのためです。

これは過失というより、現代文明に本来備わった性質です。「ギズモ」は現代的物質文化の現時点での典型的な姿なのです。

物事はもうそうなっていて、私たちはそれを受け入れなければなりません。現状の神格化、結晶化というわけです。しかし、それで一件落着ではありません。次のステージが早々と近づいているからです。

次のステージは、未だ存在しないモノです。話ができるためには、名詞が必要ですね。「Spime」と呼ぶことにしましょう。まだ推測の域を出ない、想像上のあるモノを指す新語です。「Spime」も、それを生産し使用する特別な種類の人間がいます。「ラングラー」(Wrangler)と呼ばれる種類の人間です。今のところ、皆さんは「ギズモ」をエンドユーザとして使っておられます。私の理論は、あなた方への予言は、今に、「Spime」を「ラングラー」として使うことになるであろう、ということです。

「Spime」について知るべきもっとも大事なポイントは、空間と時間の中に明確な位置を占めていることです。「Spime」は歴史を持ちます。記録され、追跡され、保管され、そして常にストーリーと関連付けられています。

「Spime」はアイデンティティーを持ち、記録されたストーリーの主人公であります。

そして、Googleのように検索可能です。自動Googleするオブジェクトと考えても差し支えないでしょう。

それでは、未来で実際に「Spime」と出会ったらどうなるのでしょう? 路上ですれ違ったら、どうすればそれと分かるのでしょうか? Cranbrookデザイン学校のScott Klinkerは、その体験をこんな風に描写しています:

筋書き: あなたはクレジットカードで「Spime」を購入します。あなたのアカウント情報は取引の手続きに埋め込まれていて、中には「Spime」のための特別なメールアドレスも含まれています。購入後、リンクが送られてきて、サポート情報、製品情報、所有者の履歴、位置情報、生産地情報、原材料、カスタマイズ方法、設計データを見ることができます。「Spime」は自分のデータを(RFID経由で)更新することができ、必要なサービスコール情報を適切なサービスセンターへのリンク付きで通知することができます。こうして憶測の必要が無くなり、リサイクルがスムーズになります。

今、多くの消費者は自分の持ち物のことをほとんど、もしくは何も、知りません。ブランドが何かは知っているかもしれませんが、それは大規模な製品広告によって、多大な年数と費用とをかけて、ブランドを気にするよう教え込まれたからです。「Spime」はそれとは違い、自分自身に関するほとんどすべての情報にリンクし、ただちに伝えることができます。いずれにせよGoogleが何でも教えてくれるのですから、自分からそうしたってよいでしょう。

いかにこれを管理するかが「Spime」メーカーの競争力となります。真の「Spime」は、あなたを作戦会議の中に引き入れて、デザイナーや開発者やエンジニア、営業やマーケティング担当者たちの中におくことで、一歩先を行くでしょう。真の「Spime」は「Spimeラングラー」を生み出します。

「ラングラー」とは、「Spime」と苦闘する気のあるような種類の人間のことです。

実際、苦闘になります。大いなる苦闘です。けれども実のある苦闘です。

これは現在進行形です。うまくいけば、過去の害悪を払拭し、来たる現実を改善することができます。

「Spime」の生産者は、皆さんにできるかぎりの仕事をしてもらいたがります。「Spime」の使用状況をデータマイニングして、「Spime」に反映させることでマーケットシェアを伸ばすことができるのです。これはもっと前の時代ならば「顧客情報管理」と呼ばれていたでしょうが、「Spime」の世界ではもっと緊密なものです。協調的なもので、どちらかと言えば、オープンソース生産のようなものとして考えたほうがよいでしょう。エクセレンスがすべてです。情熱。統合性。分野の垣根を越えた活動。そしてボランティア精神。

Amazonでショッピングする買い物客は、既に画面でみるすべてのものの価値を増大させています。対価はもらっていませんが、ショッピングすること自体が無報酬の仕事となっているのです。これが大規模に拡大されて、物理的所有物すべてに実装されたところを想像してみてください。「Spime」を使うときには、いつも誰か他の同じ「Spime」を使っている人とすり合わせをしていることになります。「Spime」はまず第一にユーザーグループであり、その次に物理的物体なのです。

とんでもなくややこしく聞こえるだろうことは承知しています。実際そうだからです。これが必然である理由は単純です。その理由は、時間の経過です。エントロピーは維持を必要としません。「加工物」も「機械」も「製品」も「ギズモ」も、どれも寿命があります。人間が作り、使うモノはみな磨り減り、消費され、捨てられます。都合の悪いことに、このプロセスは限界に逹しつつあり、人間に甚大な被害を与えています。ゴミで充満しつつあるのです。

私たち人間は大気を、海を、そして地球の表面を、自分たちの身体を、産業廃棄物やごみで満杯にしようとしています。63億人が住み、100億人へと近付いている世界では、もうごみを水に流せる余地はないのです。私たちの物質文化は持続可能ではありません。その資源は再生可能ではありません。地殻をすべて使いものにならなくしてしまうことはできません。もう使えなくなったモノの中から価値あるものをふるい出し、生産ラインに再びのせる必要があります。これを実現するためには、それらがどこにあり、どうなったのかを知る必要があります。モノのライフサイクルを記録する必要があります。壊れたときにどこに持っていけばよいかを知っている必要があります。

これは実際上は、すべてをタグ付けして時系列で扱うことを意味します。色々なものをタグ付けし始めたら、タグ付けを止める潮時は永久に来ないことを私たちは知るでしょう。

未来では、モノの一生は画面上で始まります。生まれながらにデジタルです。設計仕様の詳細は一生付いてまわります。モノと、そのデジタル・ブループリントの原本とは分離不可能であり、ブループリントが物質世界を支配しています。専門家がそのモノについて教えてくれるようなことは、すべて — もし聞けば — そのモノ自身が教えてくれます。専門家になって 欲 し が っ ているからです。そのモノの「ラングラー」として専門家になったならば、ちょうどSIGGRAPHのグルたちのように、その業界の進歩に貢献することになります。そのモノはさらに速く進化し、その業界もさらに速く進化します。終わりのないSIGGRAPHのようなものです。

つまり — 注意していさえすれば — 以下のことをただちに知ることができるのです: どこにあったか、いつ手に入れたか、いくらだったか、誰が作ったか、何で作られたか、材料はどこから来たか、上位モデルはどんなものか、もっと安いモデルはどんなものか、製造に関わった人はどこの誰か(お礼を言わなければ)、不具合があれば誰に文句を言えばよいか、一世代前の「Spime」はどんなものだったか、この「Spime」は前のものよりどこが良くなったのか、次世代の「Spime」はどうなると考えられているのか、自分が手助けできるとすればそれは何か、この「Spime」は誰に所有されてきたか、どんなことに使われてきたか、どこで何時使われたか、同じ「Spime」を持っている人はどんな意見か、自分と似た人達がどんな風に「Spime」を改造したり、デコレーションしたり、改変したりしているか、「Spime」の一般的な使われ方はどんなものか、世界のもっともエクストリームな「Spime」のギークなファンによる不正規な「Spime」の使用方法の全容、オークション・サイトでは自分の「Spime」はどう値が付けられるか。そして特に — 完全に客観的に言って — 安全におさらばするにはどうすればよいか。

これらは既にすべての生産物の背景事実として実在しています。SIGGRAPHのようなイベントですでにこういったことを知ることができます。ただ、スローモーションなのです。「Spime」一つ一つが、今日の工業プロセスのすべてを体現しています。全てが、モノ自身に明示的にリンクされている。「Spime」は前時代の産業構造を飲み込んで内在化させたものなのです。

情報の一部は「Spime」の中に含まれているかもしれませんし、ウェブから引っ張り出されたかもしれません、例えばバーコードかRFIDチップで — けれど実際には、違いには気付かないでしょう。

つまるところ、モノの性質そのものが透明になったということです。オープンなオブジェクトです。

こうしたモノにあふれる世界では、モノ自体は瑣末事です; その物理的なモノは物質世界上の掲示板に過ぎず、来たる日の大規模なデジタル・インタラクティブなポスト・インダストリアル・サポートシステムのために存在しているだけです。こここそ、皆さんのような人種が、皆さんの進化した子孫が、地球を支配する場所です。これこそがウェブが野蛮なやり方への上塗りであることをやめた世界であり、今や底の底まで上塗りな世界です。

すべてを透明にすることで、種々の社会悪や眩暈のするような可能性が公の目にさらされることになります。「Spime」を所有している人は皆、もの言わぬ客ではなく、ステークホルダーになります。距離が近くなるにつれ、もっともっと注意を奪われることになります。単純に使う、ということはできません。私がこのTreoを使って、純粋に電話をかけることができないのと同様です。この機械は私をオペレーション・システムに引きずりこみたがっています; 私は友人達にしゃべりまくることになっているのです。私たちは皆、そのモノの愛すべき熱狂的支持者になって、手助けすることになっています。時には喜んで従い、時には死にそうになります。私たちは顧客ではありません。私たちは消費者ではありません。そして「Spime」の場合は、私たちはエンドユーザでさえありません。私たちは物質文化のリアルな問題とチャンスと苦闘しながら過ごします。私たちは「ラングラー」なのです。

私たちは「Spime」と悪戦苦闘することを生業とします。それ以上に、それは生きる理由となります。ソーシャルネットワーキングのようなものです。ネットワーキングは、ノン・ワーキングの代名詞であります。まあしかし、これにはいくら時間があっても足りないものです。

私のこのビジョンは、ユートピアを描いたものではありません。歴史に基づいた理論です。それまでの歴史と同様、巨人の苦闘を伴うものです。私たちはデジタルなプログラム可能性に感染した未来世界と対峙しています。この世界では、私たちの生活の基盤や持ち物が、当然のごとく、位置システム、タイマー、アイデンティティー、歴史、来歴、そして目的を持っています、そして感覚、論理、駆動力、表示装置。ループの中のループ。クロック・サイクルの中のクロック・サイクル。

このビジョンには、ダーク・サイドもあるのだろうか? そう、いかにも。真の脅威です。stoprfid.orgのようなサイトで今すぐ見ることができます。このサイトは私は大いに推薦します。「Spime」の技術は強制収容所や独裁主義国家、刑務所に最適です。

私たちが闘うべきは:
* 「Spime」スパム、押し付け、顧客への暴行、侵入
* スパイ・盗聴の可能性
* 広告をひらひらさせた箒、お金を要求するモップ
* シンプルなシャベルですら使えなくなるような微妙なソフトウェア障害
* 不安定なソフトウェア
* セキュリティの穴、クラッキング、窃盗、詐欺、悪意のあるソフトウェア、蛮行や悪戯
* アイデンティティーの盗用
* 工業的危機: 不注意な人が火の目を見る「Spime」キッチン、古くなったデジタル地図に従って壊れた橋を直進する「Spime」自動車
* 技術的な囲い込み、邪悪な独占主義者、藁をも掴もうとする崩壊国家
* 知的財産まわりの苦労
* 組織的「Spime」犯罪
* モノの群れによる予測不能な創発的ネットワーク的振る舞い
* 出来の悪いインターフェイス・デザイン
* 「Spime」の使用を禁止された違法な労働者
* 半自律的なモノの法的、倫理的、社会的責任
* これまで生気がなかったのに、高価で、もったいぶっていて、もろくて予測不能で、流動的すぎ、手を差しのべようがないほど複雑で、既にある価値を壊滅させるようなモノ
* そして単なる醜さ: 安っぽくて、間抜けで、無味乾燥、作り物、破壊的、俗悪、下品、無価値、猥褻、非実用的、そして危険な「Spime」

そしてこのリストは完璧とは言いがたい。やることは沢山あります。100億人分としても余りある量です。いずれ「Spime」は現実になります、これらの脅威はすべてチャンスでもあるからです。「Spime」はすべてを変えてしまうでしょう、すべて変わる必要があるからです。それも速く、深く変化する必要があります、今の工業システムは持ちこたえられないからです。エネルギーと原材料が足りません。前進するかわりに、文明は剣を置いて油井のまわりに集まり、煙に覆われた暗黒時代に身を落ちつけようとしています。

今日の物事の仕組みのため、世界は貧困と堕落、混乱の運命を順調にたどっています。惑星4つをもってしても、いわゆる先進世界の生活を支えるだけの原料とエネルギーを供給することはできないでしょう。

私たちは相当進歩してはいますが、十分に進歩しているとは言い難いのです。

ちょっと心配性で理屈っぽく聞こえるかもしれませんね。皆さんの足元に火がつくように言い換えてみましょう。スティーブ・ジョブスはパーソナル・コンピューティングの開拓者の一人であり、Pixarを率いるリーダーです。ここではアップルは最大手のベンダーです。スティーブ・ジョブスのイベントなのか SIGGRAPHなのか分からなくなるほどです。スティーブ・ジョブスは膵神経内分泌腫瘍におかされています。それは、世界の誰もと同じように、あなたや私のように、スティーブ・ジョブスが体内に沢山の発癌性物質をかかえているからです。シリコンバレーは、工業ごみ清掃所として、突然変異誘起物質の豊富さで知られています。

この業界の長の体内にある心をかき乱されるような物質は、これらはそこに存在すべきではありません。それらは廃棄物であり、システムの無駄であり、経済外部性です。私たちはこれらの物質を組織だて、流出をなくし、そして、将来的には生産システムの成り立ちから完全に追いやる必要があります。スティーブは物理的理由、代謝上の理由で病気なのです。正確な原因と結果の連鎖関係は分かっていないかもしれませんが、1つだけは確かです; 彼が病気なのは、暗黒の天使か何かが彼の運命のサイコロに息を吹きかけたからではありません。彼は流出した有害物質を、産業社会の副産物を身体の中に負っているのです。

痛ましいことです。けれど、血液が私たちのごみ捨て場であることを理解する必要があります。肺も肝臓もそうです。これらを可視化することができれば、そして私たちの体内でどこがおかしくなっているのかを理解し、証明することができれば、デジタルの医療撮影装置で体内を、肺を、肝臓を見ることができれば、そして目に見えない問題を目に見えるようにできれば、すべてが違ってくるでしょう。持ち物のすべてにその知識を紐付けることができたら、私たちを死に追いやっていたモノはたちまち無くなることでしょう。

実現するのは簡単ではありません。けれど西暦2004年の世界では、もはや想像不可能ではありません。実現は可能です。

もっとクリーンな生き方は可能です。今は無知の故に、私たちはがれきやがらくたに埋もれて生きています。技術的にはもう無知から抜け出すことが可能です。知っている者は知っています。ただ、問題は隠蔽主義をめぐるものになっているのです。承知の上で私たちを傷付けている者達による利害に目のくらんだ事実の隠蔽です。そんな悪の行いが許されてよい訳はありません。殺菌には太陽の光が一番です。

知ろうとすること、やろうとすることが闘いの終わりではありません。人間の潜在能力には底知れぬものがあります。いずれ、技術的に、稼動しながら同時に空気を清浄にする工場や、飲料水を生産する自動車、ごみ捨て場のかわりに公園をつくり出す産業システムを実現することが可能になるでしょう。さらには、モニタリングシステムによって都市や町、庭や家庭の中で自然が育ち、繁栄するようになることも。「持続可能」なだけではなく、世界をより良くする産業です。天然世界は私たちの努力と頭脳によって、より良くなるべきです。高望みしすぎではないと信じます。

あなたや私は、そうして進歩した未来世界を目の当たりにすることはないでしょう。そんな世界に生きる人々は、どちらにせよ当たり前のことと受け取るでしょうね。けれど、今日のテクノロジストにとって、それは価値ある未来像です: デジタルに征服された世界として、それは知恵ある統治であるからです。圧政ではありません。合意にもとづいたものです。

ビジョンがなければ、人は滅びます。それで、私たちはきらきらした賞やゴールで自分たちを動機付ける必要があるのです。しかし賞自体に生はありません。生きるべきは、楽しむべきは、闘いの中にあります。立ちはだかる暗い崖 — そこにこそ達成の喜びがあります。

私たちは新しい生き方に身を投じる必要があります。技術上のうねりはもうここに来ています。私たちは変化していっていますが、それはどこへと向かう変化なのでしょうか? 答えるべき質問は、何よりも、私たちはどうしたいのか? ということです。未来のないものは捨てようと望むべきです。平凡な持続可能性などつき破っていくべきです。前進・強化された世界を欲するべきです。次の一歩はそうあるべきです。私たちの後に続く者の選択肢を広げようとするべきです。埋立地という墓場にこれ以上死んだモノが積み上げられる必要はありません。それよりも私たちには今以上の選択肢が必要です。

これは、実現する必要があります。実現しなければなりません。そして、実現します。

今日お話しすることはこれで終わりです。さあ、最新技術の粋を見に行こうではありませんか!